あなたの入れ歯がなぜ合わないのか
一度確かめてみませんか?
練馬区(練馬)の歯医者・大山歯科
医院院長の大山浩一です。昭和41
年、板橋区南常盤台生まれ。
幼い頃はおとなしい性格で、家の中
で遊ぶのが好きな子供でした。
私の母親が技術職(美容師)だった影響もあり、また人の役に立てる仕事に就きたいと思い、歯医者を志し昭和59年に歯科大学(日本大学松戸歯学部)へ進学。歯科医を志した理由としては、私が幼少の頃、祖父が入れ歯の調子が悪く、そのため十分に食事が出来ず体調を崩したことがありました。その時祖父のかかりつけの歯医者さんが新しく入れ歯を作ってくれ、食事が出来るようになった祖父は健康を取りもどし、元気になった姿を見て、子供心に「歯医者さんってスゴイ人だな」と思った記憶が鮮明に残っていることも挙げられます。
平成7年(1995年)1月にこの地、練馬区田柄に開業いたしました。この地に開業した理由は、以前母親の経営する美容室の分室が今の医院の土地にあり、私が幼い頃この場所に何度も訪れていたので、とてもなじみのある場所だったからです。
当院は、練馬区(練馬)の東京メトロ有楽町線・副都心線平和台駅の近くで開業した歯医者(歯科医院)です。東武東上線・下赤塚駅も徒歩圏内に位置しております。1995年1月に練馬区(練馬)の田柄で開院して以来、地域の皆様からの温かいご支持を受けながら、この練馬区・田柄、北町、春日町、平和台、光が丘、早宮、練馬。板橋区・赤塚、徳丸、成増等の皆様のホームドクターとなる練馬区(練馬)の歯医者(歯科)として皆様のお口の中を診て参りました。
「患者様が歯科治療を通じて快適で幸せな人生を送るようになれることを追求し、『皆様の最後の歯医者・歯科医院』になって末永く皆様の健康を維持するお手伝いをする」というポリシーのもと、通っていただく皆様に対して「最良の歯科治療とは何か」、「歯医者として何ができるのか」を常に考えながら治療にあたっております。
私は今まで25年の歯科医師人生の
中で1200人程度の「入れ歯難民」と
も言える、どの歯科医院に行っても
入れ歯がよくならないという、心から
悩みを抱えている患者さんと真摯に
向き合ってきました。
歯科医師一年目から積極的に入れ歯の治療に関わる中で色々な勉強会、セミナーに出席しました。入れ歯のセミナーはもちろん、包括歯科1年コース、歯周病1年間コース、インプラント1年間コース、矯正2年間コース等、思いだせないほど受講しました。
一生懸命に勉強してわかったこと。それは、入れ歯の技術は虫歯治療、歯周病、咬み合わせ、摂食嚥下、予防歯科、力学、生理学、解剖学等総合的な知識の上になりたち、患者さんに喜んでいただける入れ歯を作るには、それらの知識、技術を高いレベルで有しないとならない事を気づき、学び発見しました。このように私が入れ歯治療を専門分野としたことには、あるきっかけがあります。
ある暑さが続く夏のこと、私の祖父の入れ歯が調子悪く思うように食事が取れなくなり、また夏バテも重なって体調を崩してしまいました。私はちょうど夏休みで毎日祖父の様子をみていたのですが、日ごとに元気、気力がなくなっていくのが分かりました。
このままでは寝込んでしまいそうになったので、私の父が祖父に付き添って、かかりつけの歯医者さんでしっかり合った新しい入れ歯を作ってもらいました。秋になり、ちゃんと食事ができるようになった祖父はだんだん体調も元に戻り、元気や生きていく気力も取り戻し、それから10年以上、90歳を過ぎるまで、心も身体も健康に過ごし、「天寿」を全うしました。
「合った入れ歯でここまで人生が変わるのか!」と入れ歯が健康に及ぼす悪い面と、反対に入れ歯によってこんなにも患者さんを幸せにできるのだと衝撃を受けた体験が、今の私の歯科医師としてのバックボーンになっているのだと思います。患者さんに健康になって頂きたい、と思い「知識、技術、経験」を駆使して作ってさしあげた入れ歯をよろこんで頂き、今まで入れ歯にお困りだった患者さんの健康回復のお手伝いが出来た時に歯科医師としてのやりがいを強く感じます。
「患者さんに歓んでもらうことが、私の歓び」この言葉が私の歯科医師としてのあり方を示す一言であり、私を突き動かす原動力です。